ブラック病院の勤務医がホワイト企業に転職して得た気付き

僕は今年の6月までは臨床医として楽しくブラック労働に勤しんでいたのだが、7月からは有数のホワイト企業に転職した。新しい職場では、当然のごとくフレキシブルな働き方が許されている。働き方改革が叫ばれる昨今、在宅勤務やリモートワーク、裁量労働制の仕事にフォーカスがあたっている。今日はその事を検討してみる。

まず、定時出社+残業、という旧来の働き方は愚の骨頂であると思う。まずは通勤。都市部での地獄の満員電車は、想像を絶するストレスである。あのような空間で往復2時間も毎日過ごし続けて平然としているのは、簡潔に言ってヘンタイである。自分は転職するまで、人生で一度も電車通勤をしたことがなかった。30歳を過ぎて始めた電車通勤は、文字通り地獄である。

リモートワークや裁量労働を用いて、出勤時間を早めるか遅くしてラッシュ回避することは必須だと思う。多くの会社は定時が9時なので、9時をすぎると電車の中は一気に快適になる。また早朝6時台であれば、比較的空いている。

通勤電車で唯一の脱出口があるとすれば、グリーン車だ。グリーン車であれば机があるので、そこでパソコンを開いて仕事ができるしゆっくり本も読める。いくらグリーン車でもラッシュアワーのピークでは満席になってしまうのが、幸い僕の最寄り駅は比較的グリーン車に座りやすいので、6時~7時台であればだいたい座れる。問題はその価格である。片道780円である。これを高いと思うか安いと思うかは、各々の判断に委ねよう。

次に在宅勤務である。通勤をしないで良くて、自宅ですぐ仕事を始められるの大きなメリットに思える。昼食も自炊で節約できる。何より家族との時間を過ごすことが出来る。これは良い事しか無いように感じるが、どうだろうか?

自分は神レベルの怠けモノである。高校生ぐらいから勉強の習慣を持つようになったが、その時にわかったのが自分は自宅では全く勉強に集中できないのだ。家の中ではほんやら漫画やら誘惑が多すぎるし、怠けても誰の視線もないので、安心してダラダラしてしまう。自分の場合は、職場で周りの人がせかせか業務に取り組んでいる環境であったり、スタバでのドヤり合い合戦に参加していないと、まともに機能しないのだ。サラリーマン業務は「今日やらなくてもいいが、そのうち取り組んだほうが良いこと」という内容が圧倒的に多いので、それが在宅勤務の困難さに輪をかけているように思う。

在宅勤務で有意義に過ごしている人に話を聞くと、子育てと両立しているママさんであることがほとんどだ。世の殆ど男性には、在宅勤務のメリットは無いように思う。自宅でもパフォーマンスを発揮できる人は、学生の頃から自宅でしっかりと勉強に取り組むことが出来ていた人だけだ。いつもファミレスとか図書館に出かけていって勉強していた人は、在宅勤務は諦めよう。

逆に言うと、オフィスに出社しないが、自宅周辺の集中できる環境で仕事をするのは、アリだと思う。これであれば、地獄の満員電車を回避できる。グリーン車に780円払って定時出社するか、スタバで410円のカフェラテを飲んでラッシュアワーを見過ごし、9時過ぎに普通車で通勤するというのも、どちらがお得かは真摯に検討すべきだろう。

そう考えると、オフィスという環境の良さを再認識する。①周りの人が頑張っているので、自分も頑張らざるを得ない。②外付けモニターや高品質マウスなどのデバイスが揃っている。③高層ビルから、見下ろすプレイが出来る、④職場の人とコミュニケーションが取れる、⑤会議で顔をみて喋れる、などである。

裁量労働になると無くなるのが、残業代である。僕もブラック労働時代は大変お世話になったというか、残業代も基本給の一部ぐらいに思っていた。ダラダラしてるだけで給料がもらえるのでこれは非常に楽である。「どうせ残業するんだし」という前提で日中も仕事をするので、日中の生産性も下がる。これはよくない。残業代は海外との会議など、退っ引きならないシチュエーション以外では、百害あって一利なしだと思う。

いろいろな働き方を試した暫定的な結論としては、通勤ラッシュを回避できるように出社を早くするか遅くする。そのつなぎとしてカフェや在宅を活用する。オフィスである程度まとまった時間を過ごす。帰宅ラッシュ回避のために帰社時間を早くするか遅くする、というのが最適解であるように思う。

まあこれらの悩みも全て、職場の近くに住めば一挙に解決するのだけれど。

30歳になる前に「メモの魔力」を読んで自己分析した内科医の顛末

「自分とはなにか。何を目指しているのか?何がしたいのか?」

そういった自分の軸がしっかり定まっている人であれば、人生の意思決定において自分の軸に沿って判断するだけで良いので、迷う必要はない。逆に、自分は何を目指しているのか?そこが曖昧であれば、漠然とした違和感や不安は常につきまとって拭い去ることはできない。

30歳を迎える前の自分の話である。そんな日々、話題の一冊をKindleで読んだ。

メモの魔力

Mr.長澤まさみ、前田裕二さんの作品である。

前半は日常レベルで、メモを取る目的と方法が書いてある。簡単に説明すると、「ファクトをメモる→メモ内容を抽象化する→具体的なTodoや目標にする」という3つのプロセスを勧めている。ファクトをメモるだけでは意味はなく、普遍的な知見に昇華させるための抽象化や、ToDoにして実際のActionにつなげることの重要性を繰り返し説いている。このような習慣を通して、日々の出来事をメモし何でも自分の血肉に変えようというメッセージだ。これはこれで興味深い内容で、自分も早速モレスキンの高いノートブックを購入し、日々メモをとるようにしている。

今回の主題は後半の「自分の人生の軸を考えるためのメモ」である。前田氏が用意した100の問い(小学生の自分が大事にしていたことは?高校生の時の理想の職業は?など)に答え続けることで、自分の中で軸となる価値観や人生の目的を見つけだそう、という試みだ。人生の段階毎に、繰り返し同じ設問が続くのが特徴だ。最低100、余裕があれば1000個の問いに答えることを本では推奨しているが、自分は60個ぐらいまで答えてみてだいたい同じ結論に至るようになったので、そこで終了した。

その時にたどり着いた結論は以下の記事に詳しく書いてある。

なにか一つ達成した時に、自分が本当は何を求めていたのかわかる - 内科医をやめて製薬企業へ就職した男のブログ

簡単にまとめると「自分には昔から明確なやりたいことは存在しないが、何かに挑戦し活躍して、自分の周りにポジティブな影響を与えたい」、ということだった。それに付随して「医師という職業に(そこまで)こだわりがない」ということも改めて判明した。この内容は、普段自分自身でもぼんやりと認識していることであったが、体系的な自己分析により人生のフェーズ(小学生、中学生、高校生、大学生、初期研修医)毎に洗い出してみても、一貫して同じようなことを考えているのを自分で認識できたことは発見であった。

さて、自分が大事にしていうる価値観を認識したら、今度はそれを自分の行動やキャリアに反映する必要がある。自分の今の生活は、自分の軸に沿った状態なのか?そこを真摯に検討する必要がある。ここが一番悩ましいポイントである。

当時、臨床医として働いていた僕が得た結論としては

「概ね整合性は取れているが、程度の甚だしさやスケール、迫力が足りない」ということだった。自分が頑張ることで周りを良くするという意味ではそれっぽい仕事が出来ているのだが、そのスケールや対象が限定的なのだ。例えばサッカー選手とかホリエモンのように、日本全体に対して影響を与えられていない、というのがどうしても気になった。もちろんそういった大きなスケールの活動ができる人は世界でもほんの一握りで、多くの人がone of themとして人生を終えることはよくわかっている。ただ、いつでも変更可能であるはずのキャリア(臨床医)が、自分が心の底から目指す目標につながっていない(可能性が高い)のに続けるのは、惰性であると感じた。仕事はいつでも変えられるのに、目標から遠のくキャリアパスを描いていいのか?しかも医師免許があれば、他分野に言って失敗しても、いつでも戻ってこれる。そう気づいていしまった僕に、言い訳の余地は無かった。

 

自分の現状についてモヤモヤと悩んでいるが、具体的にどうしたらいいかわからない。そんな人はまず第一歩として、自分の歴史や思いを洗い出す作業を行ってみたらどうだろうか。そんな人には、この本は一読の価値がある。

ちなみに、メモの魔力を読む前に、前田さんのファンになる必要がある。なぜなら彼をある程度信頼しないと、自己分析作業で挫折するからだ。IT企業の社長で長澤まさみの彼氏というだけで信頼できない人は、前著「人生の勝算」を一読することをおすすめする。

僕は、同年代でこんなにすごい人が居るのか、と衝撃を受け、自分も何かしなければ!と考えるキッカケとなった。

「レベル1に落ちるのが怖くて魔法戦士になれるか」

自分が尊敬する古賀洋吉さん。

彼の有名な記事に、ドラクエ人生論がある。

愛の日記 | ドラクエ人生論

レベル20になったら転職するだろ。レベル1に落ちるのが怖くて魔法戦士になれるか。

 

ドラクエに詳しくない人に説明すると、ドラクエではいくつかの「職業」が選択できる。職業を選択(この場合は戦士)すると、戦士としてレベル1からのスタートとなる。戦士レベルを上げると、それに伴い戦士としてのスキルを身につけられる。戦士レベル20になると、戦士としてMaxの習熟度となり以降は戦士としてのスキルは上昇しない。職業は他にも魔法使い、武闘家、盗賊、僧侶なんかがあり、どれも同じようにレベルアップしていく。

その中でも、複数の職業をマスターすると初めて選択可能になる職業がある。「魔法戦士」は、「戦士」と「魔法使い」の2つの職業をレベルMaxまで上げることで選択可能になる。ハードルが高い分だけ、魔法戦士のスキルの効果は絶大である。魔法戦士になるためには、戦士として最強レベルになった後、一度戦士をやめて魔法使いに「転職する」というプロセスが必要だ。戦士として幅を利かせていた日々から、一気に駆け出し魔法使いレベル1にランクダウンするのだ。その落差を乗り越えられない奴に、魔法戦士になる資格はない。

臨床医で過ごしていた頃の僕は、臨床医としては駆け出し以上ベテラン未満ぐらいのレベルだったが、それなりに自分のスキルの自信を持っていた。そして企業に入ると、驚くほど何もできない自分がいた。自分は完全にサラリーマン魔法使いの初心者であり、魔法使いとしての知識・スキルが一切ない。他の魔法使いたちが何を話しているのかわからないし、そもそもを何をしようとしているのかがわからない。周りは魔法使いとしてスキルを磨き続けてきた猛者ばかりなので、相対的には自分は雑魚キャラである。臨床医戦士だった時代は自分より格上の戦士はそんなに多くなかったが、今は間違いなく下っ端だ。それでも、魔法戦士になるために、日々奮戦している。

環境/職業チェンジによる相対的レベルダウン。これを乗り越えられるかどうかは、これまでの同様な経験があるかどうかに依存する。

自分の場合考えてみると、小学生の頃は米国の片田舎に住んでいて、こころ優しい人達に囲まれてのほほんと過ごしてきた。中学生で日本に帰国し、私立の中学校に入った。そこでは当然のようにイジメや先輩からのいびりが横行し、ぬるま湯から転校した僕には、さながら北斗の拳のような世紀末に思えた。

自分は生意気なのに背が低かったため、結構な頻度でボコされていた。それでも「体が大きいのは個人の努力量と関係ないのに、ただ身体がデカイだけでドヤっているコイツらは何なのか。俺のほうが本来なら格上だ。」と強がっていた。イジメというよりは、ヤキをいれらたという方が近いかもしれない。そんな日々も、自分の背が一気に伸びて全て解決した。身体面で同等になれば、あとは知能により優劣がつくため、僕の立ち位置はだいぶ上がった。

僕は大学生の頃、部活の部長や勉強会のリーダーをしていた。俗に言う意識高い系の学生である。初期研修医として社会人になったら、すぐに活躍出来るものだと思っていた(馬鹿ですいません)。実際に現場に出てみたら、自分は圧倒的レベル1であった。臨床現場は、学生の頃とは全く違うルールで運営されえおり、培ってきたスキルですぐに活躍できるほど甘い環境ではなかった。自分はこの世で最も使えない研修医なのではないか?と思い、毎日うなだれていた。それでも「早く一人前になりたい」と、とりあえずは言われたことをコツコツとこなし出来ることの範囲を増やしていった。やがて周りからも認められ、活躍できる場面も出てきた。

 

キャリアアップを目的とした転職を検討するような人は、大きなビジョンや情熱を持っている。そうでもなければ、転職という大きなハードルを乗り越えられない。活躍している自分、大きなプロジェクトを動かしている自分。そのような理想を描いていて、新分野に飛び込むことが多い。そして実際に転職すると何も出来ない自分がいる。その落差は結構しんどい。

この現実から目を逸らし、魔法使いの森に来たのに戦士として出来ることばかりやってる人がいる。自分が(魔法使い)レベル1であることを認められず、戦士としての仕事を探す日々。自尊心は守られるかもしれないが、当然魔法使いとしてのレベルは上がらず、スキルも身につかない。それではいつまでたっても魔法戦士にはなれないのだ。レベル1である自分は、コツコツと低レベルなことから着手するしか無いのだ。

つらい日々で、自分を支えてくれるもの。それは魔法戦士を目指した最初の情熱以外には無い。なんのために自分は戦士キャリアをやめたのか?大きなゴールを達成するためだ。君は今はレベル1だが、戦士として成功した実績もある。完全なる0ではないんだ。

飛び級はない、レベル1,レベル2、レベル3…と着実に段階を踏んでいこう。

今の職場で評価されていても、高みを目指すならそこを去れ

転職を決意してから、実際に会社に行ったりとか、面接を受けたりしていることは、当然黙ってやっていた。自分自身も、本当に転職したいのかとても曖昧だったので、そのようにしていた。もともと前職が嫌になって転職を考えてたわけではないのだ。

それでも、オファーを頂いた後、ぜひやってみたいとテンションが爆上がりした。

転職を決意してから一番気になったのが、「自分がいなくなっても大丈夫か?」ということであった。自意識過剰だったかもしれない(実際そのとおりだった)が、多くの医療現場では長時間労働が常態化しており、一人が担っている業務量は大きい。自分はその中でも中間管理職のようなポジションで、他部署とも多くの調整を行っていた。自分しか詳細を知らない業務もいくつかあったし、佳境に差し掛かっているプロジェクトもあった。

心配になった僕は、転職先から予め提示されていた入社時期を、遅らせられないか相談をしてみた。

「それは駄目です。優秀な人は、いつになっても、仕事で必要とされなくなることはないです。なので、引き継ぎスケジュールで入社時期を調整するのは、賢明ではありません。こちらの都合上、この日時がベストです」

なるほど、そういうものか。評価されているのか騙されているだけなのかよく分からなかったが、とりあえず、転職の日程は動かさないようにした。その頃には、いろいろな方々の耳に入り、周りから色々聞かれるようになった。

ヘッドハンティングじゃん、やったね!とか、若いうちは好きなことやればよいよ、とか。応援してくれる方々が多くてとても嬉しかったことを覚えている。なにすんの?どうなんの?みたいなコメントもあった。褒めてるわけでも悲しんでるわけでもなく、単純に「?」と戸惑った方々である。これは、自分自身ですら転職後に何をするのかよくわかっていなかったので、当然の質問であったと思う(これに答えたいと思ったのがこのブログを始めた理由でもある)。

 

ネガティブなコメントも数多く聞こえてきた。

・無責任

・非常識

・ハードワークからの逃避

・金に走るのか

などなどである。中には結構尊敬している人からのコメントも会ったりして、かなり凹んだ。それでも、いろいろ文句行ってもらえるのはそれだけ評価していただいていたからだと、勝手にポジティブに捉えることにして乗り切った。

全体的に感じたのは、どれだけ現状に我慢しながら働いている人が多いのか、ということである。

育ててもらった職場に感謝することと、転職するかどうかの判断は、自分としては別問題だと思う。新しく好きな人ができた時、長年連れ添った彼女と別れる、みたいな話だ。お互い辛いが、その精神状態(転職や別れを決意した状態)でそのまま同じ職場で働き続けられるほうが、むしろ不健全ではないだろうか。

こんな話を転職先にしたら、こう返ってきた。

「優秀な人が去るときは、ポジティブであったりネガティブであったり、いろいろなことを言われるでしょう。優秀な人が転職する時は、それが普通です。むしろ何も言われない人を、弊社は求めておりません。」

こんな後押しもいただき、無事退職が決まった。とは言っても、これまで一緒に頑張ってきた仲間たち、頼りにしてれた後輩たち、尊敬できる先輩、お世話になったボスと別れるのはとてもさみしかった。これまで積み上げてきた評価が一旦リセットされてしまうことも、とてももったいない気がした。このままここにいれば、絶対楽しく快適に過ごせるのにな…。

それでも僕は、申し送りを済ませ、病院を去る決意をした。このままここにいても、それは惰性だ。いつでも戻ってこれるんだし、とりあえずやりたいことに飛び込んでみよう。

そうして、僕の臨床医のキャリアは一旦停止した。

 

以下補足

退職しますという意思表明と、実際の退職日との間隔は、極力短くしたほうが良いのではないか。意思表明すると周りから「この人はやめちゃう人」というレッテルを貼られる。責任のある仕事は回されなくなるし、会議などで発言しても「そうは言っても、あんたやめちゃうじゃん」的な反応をされてしまう。

自分の場合は特に意識せずに、退職の意思表明と退職日をたまたまセットで伝えた。これは英断であったと思う。さもなければズルズルと退職日を延期されてしまっていたのは明らかだし、実際半年ぐらい引っ張られたという話も聞く(退職金を人質に)。

自分の場合は、2ヶ月弱あった。当時は短いかなと思ったのだが、外資系企業のように入れ替わりの激しい職場であれば正式なアナウンスからわずか2週間ぐらいで居なくなってしまうのが普通らしい。もちろん水面下ではもっと前から話は進んでいるのかもしれないが。

快適だと感じたら、挑戦が足りていないと心得よ

2018年、僕はチーフレジデントという、若手医師の管理者のようなポジションについていた。とてもやりがいがあって、楽しい業務だった。それが終わり、今後のことを漠然と考えた。これから僕はどこへ向かえば良いのだろうか。

 

「仕事が快適だなと感じたとき、挑戦が足りていないと考えなさい」自分の職場の偉い人の言葉である。

サッカーの本田圭佑が日本にいないのは「日本は僕にとって快適すぎるんです」というのも有名だ。

仕事が、不愉快、めんどくさい、無駄、やりたくないことをやらされている。そのような「日常的な不満」は自分の努力で職場と交渉し、どんどん潰すべきだろう。上司と相談して、極力自分にとって無用な負担だと思えられることは少なくする。逆に、自分にとって良い(と思われる)負荷には、逃げずに正面から取り組むべきで、そこに成長がある。日常レベルで不満を減らし、求めている負荷を増やす。自分のパフォーマンスを最大化するために、常に自分と向き合い、どうすれば自分が輝けるか考え続ける必要がある。自分の職場をやりがいのある場にするための努力も、労働者の責務だろう。

しかしそれでも、どうしても変えられないことがある。

例えば、収入だ。

1つ目は、その人の持っている職種/職能に対するマーケットバリュー(需要と供給)で決まる。内科勤務医、外科医、開業医、雇われ院長、営業、マーケティング、法務、などの給料は、職場が違ってもだいたい似通ってくる。職業/職能がレアでかつ需要が大きければ、給料は高い。

2つ目が、業界の構造である。たくさんの人数や多くの設備投資が必要なのに売上が少ない業界(製造業など)と、少ない人数で少ない設備投資なのに売上が多い業界(金融業界など)の差である。市場構造である程度人件費(給料)が決まる。

3つ目が、置かれた環境での相対的な成功度合いである。同期の中で一番優秀になれば、それだけ待遇は良くなる。

重要なのは、どの職業/職能か、(どの業界でどの会社か)により、将来における年収が自動的に決まってしまうということだ。成功の下限と上限が決まってしまうのである。自分の置かれている職場環境の年収や特徴が、似たような職場であればだいたい同じになるのには、ちゃんとした理由がある。

問題は、それに「似通った特徴に」自分が納得できない時だ。商業柄どうしても解決出来ない負担や、どのように頑張っても得られないリターンを求める場合。それが転職を検討するべき時なのだろう。

 

【勤務医の特徴】

給料 :年功序列+時間外労働である(優秀かどうかで優劣がつかない)

役職 :年功序列である

対象 :BtoCであり、仕事相手が素人(患者)である(仕事人vs仕事人ではない)

内容 :クリエイティビティよりも正確性が求められる

国際性:基本地域に根ざした仕事。グローバルな仕事ではない

リスク:不祥事でも起こさなければクビにならない(大きなリターンもない)

臨床医というのは、非常に守られて安定した仕事である。医者キャリアを考えると、一番難しいのは医学部に入学することであり、それ以降はノーリスクだ。医学部に入ってさえしまえば、基本的に言われたことを律儀に遂行しているだけで、卒業できるし、安定した一生が送れる可能性が高い。メインとなる競争は「名誉」の争奪戦であり、給料の取り合いではない。

 

【サッカー選手】

給料 :パフォーマンスで決まる(年功序列X、役職X)

相手 :同レベルのサッカー選手である

国際性:海外チームにもいつでも行ける

リスク:怪我したりパフォーマンスが下がれば、クビになる

このような仕事は、そのリスクと引き換えに、若い頃からものすごくい脚光を浴びるし、成功すれば桁違いの注目を浴びることになる。ハイリスク・ハイリターンである。

 

上記のようなことが気になりすぎたのが、2018年だ。

自分の求める特徴を持つ環境は、ワクワクがあって、ある程度リスクがあって、国際的な仕事。このまま頑張っていても、このような環境には決して行けない、これはもう思い切って臨床を離れないといけないのではないか?そんな想いから、異業界、異業種を、意識し始めた。

つまり転職を検討し始めたのである。