医者が腕を磨く理由はあるのか

僕は医師3年目の頃は米軍病院に勤めていた。医療通訳のようなポジションであったため、給料は手取り15万ぐらいだった。そこで小銭を稼ぐために日雇いの医者バイトを行った。数カ所の病院に勤務してみたわけだが、行く先々で「すごい優秀な先生が来た!」と言われた。

自慢がしたいわけではない。自分の能力は僕自身が一番良くわかる。「どっちかといえば優秀だが、そんなに突き抜けてもいない3年目」というのが正直なところだ。自分としてはごくごく普通の対応をするだけで、このように言われることにとても驚いた。

5年間の医師キャリアの中で、様々な勤務先に行く機会があった。医者になって数ヶ月の初期研修医から、医者歴50年の大ベテランまで、たくさんの出会いがあった。この経験を通し痛感したのが「診療レベルには医師間で大きな差がある」ということだ。そして、ふと疑問に思った。日本の医療に質を担保するシステムはあるのだろうか?と。

まず、良い医療とは何だろうか。結論を言うと「標準医療」である。標準的な医療と聞くと「程度の低い医療、工夫のない医療」と考えそうになるが、それは間違いである。標準医療とは、様々な研究結果を統合した結果、現段階でベストと考えられている治療のことだ。仮に「お金がたくさんあるので、標準治療よりも良い医療を提供してください」という願い出があっても、標準医療の定義が「現段階でベストと考えられる治療」のことなので、特に出来ることはない。

標準医療は常に日進月歩。科学的にインパクトのある研究結果が出た場合、場合によっては治療内容が180度変わることも稀ではない。標準医療を提供し続けるには、常に勉強と自己研鑽を行う必要があり、かなりの努力が必要なのである。

世の中には、10年以上前の治療を堂々と提供するダメ医者もいれば、常に研究文献を読み、現場に立ち続け、最善の医療を提供しようと努力し続けている素晴らしい医師もいる。問題は、提供される医療の良し悪しは医療関係者にしかわからないという点だ。

例えば、風邪に特別な理由がないのに抗生物質を出すのは、明らかな間違いである。しかし、別に風邪に抗生物質を出しても風邪は治るので、患者本人はそのデメリットに気づかない。実際には薬剤アレルギーのリスク、下痢、耐性菌の出現、といったデメリットは存在するのだが、患者個人の問題となる程ではない。 

とは言っても、患者に重い障害が起きたり、亡くなってしまった際、患者や家族がその結果に納得していない場合は医療訴訟に発展するケースがある。医者の診療内容が論点としてあげられた場合、その内容の是非を評価するのは、外部の医者になる。その時に、いかにその医療がの標準的対応に近いかが検討される。リスクマネジメントの観点から考えると、標準医療を提供する努力は、どの医者も行うべきだと考えられる。

ちなみに、医療訴訟の最も多い原因は「患者や家族とのコミュニケーション不足」であると言われており、「提供された医療の妥当性」はあまり関係ないらしい。医療訴訟を回避する上で一番大事なのは、患者や家族に恨まれないようにするコミュニケーション力である。ホメオパシーやヘンテコ免疫療法などにが訴訟に発展し撲滅されないのは、そういった施設の医師は患者関係が良好なことが多いから、というのも有名な話である。

金銭的なインセンティブならどうだろうか。優れた医療を提供すれば給料が上がり、ダメ医療を提供したら給料が下がる、というシステムである。医者の収入に一番大きな影響を与えるのは、年功序列によって決まる基本給と、時間外労働の長さである。時間外の時給は、これまた年功序列や専門医の有無で決まってくる。つまり「いい医者」でも「悪い医者」でも、収入への影響はほとんど無い。開業医に関して言えば、診た患者の数と、薬や検査の処方数によって収益が増えるので、金銭のようなインセンティブは、医療の質に対して、逆効果となっている可能性が高い


日本の医療の質を担保するよりどころは何があるのだろう。これはもう完全に、職場の雰囲気、個人のプロ意識、個人の良心だけである。医者が診療技術を磨くことに対する外部から拘束力は非常に弱いが、日本の医師は真面目である。しかも医学部に入る人は意識の高い人が多いので、このような個人の努力に大きく依存したシステムでも、それなりに妥当性のある医療が全体としては提供されている。

ところで、最初に駄目な医師に担当されてしまっても、問題はない。日本には病院が多く、平均的には良い医者の割合が多いので、病院や担当医を変えて行けばいつかそれなりの医師にたどり着く(駄目な医師へのフィードバックが無いことも問題だが)。

読者の皆さんは、日本で医療を受けれることに、安心してよいと言えるだろう。