待遇で自分の仕事を限定するやつに成長はない

雇用主があなたを評価し、そのパフォーマンスに応じて待遇(給料)を決めていることに、異論の余地はないだろう。たとえ年収400万円だろうが、5000万円だろうが、これは労働者であれば普遍的なルールだ。もちろん、待遇はパフォーマンスそのものだけでなく、レア度(例えば、企業に務める医師は稀でなので最初から給料が高い)や前職の待遇、あとは将来性などによっても左右される。それでもスキルや仕事内容が、待遇を決定する一番のファクターであることに変わりはない。

僕はこれまで数種類の病院に勤務した経験があり、今はグローバル企業で働いている。このように様々な組織で働いていると、同じ待遇同士でもパフォーマンスがバラバラであることに気づく。ある人は大した働きをしていないのに年功序列システムで高給をもらっている。逆に若手でバリバリやっているのに極めて薄給な人がいる。それらを簡単に示すと、以下3パターンに集約される。

 

①待遇>パフォーマンス

②待遇=パフォーマンス

③待遇<パフォーマンス

 

自分は企業人として完全に素人なので、現時点では周りの人に助けていただいてばかりである。しかし医師免許パワーの効果で、比較的待遇が良い。完全なる①の状態だ。自分のように待遇がパフォーマンスを超えている人は「わーいラッキー」と思って楽しく生きていけばよいのであろうか。当然ながら、そのような甘い話ではない。

雇用主がパフォーマンス以上の待遇を提供してくれているのは、自分の将来性を評価してくれているからである。逆に言えば、はやくその待遇に見合う働きをしないと究極的にはク〇にされてしまう。新入社員や初期研修医などは、皆①である。そのことに常に自覚的である必要がある。自分の厚遇に感謝しながら努力を続け、一刻も早く追いつけるようにしなければならない。待遇以下の働きしかしていないのにその自覚が無いやつは、今すぐ退場してほしい。

②はどうだろうか。待遇とパフォーマンスが同等であれば、何も問題は無いのだろうか。ずっと②のままで良いのだろうか?僕はそうは思わない。①である僕が言うのも極めて微妙なのだが、待遇に見合った働き方を自分のゴールとすることは危険だと考えている。なぜなら、このアティチュードは「自分の職位はコレで職能はこうなので、ここまでやればよい」という考えに陥りやすくなるからだ。さらに言えば「この仕事、俺関係なくね?」だったり「これ俺の仕事じゃなくね?」という態度を取りがちになる。コレは大きな損失だ。

雇用側が、あなたに提示している待遇はあくまで雇用主側の都合/評価であり、それと自分のパフォーマンスとは本来は無関係である。雇用主が勝手にしている評価に、あなたの働き方を限定される必要は全くない。それなのに自分の業務を待遇で限定してしまえば、自分のキャパシティ以上の挑戦ができなくなり成長が止まってしまうだろう。また、一見関係ない仕事や別部署に首を突っ込むことで自分の仕事をより俯瞰できるようになり、結果的に自分のパフォーマンスがあがる。彼らはそういった機会を逸してしまっている。

もちろん自分の待遇≒職能≒キャパシティ以上となる仕事に取り組むことで、メインとなる仕事のパフォーマンスが下がるようでは本末転倒だ。それでも俗に組織でエースと呼ばれる人たちは、だいたいその人の役職(≒待遇)以上の働きをしている。③のパターンだ。彼らは常に雇用主の期待以上の働きをしており、それが当然だと思っている。周りからもあいつは役職以上の仕事をしている、と思われていることが多い。これが応援につながる。

待遇は彼らのパフォーマンスを(時間差を持って)常に追いかけてくるが、エースも追いつかれまいと日々能力を上げ続ける。この競争、自分の待遇から逃げ続ける戦いは、エースたちをさらなる高みへ導いていく。

周りが勝手にした評価に、自分の上限を合わせる必要など無い。自分がやれる範囲で、やるべきだと思える仕事に、全力で取り組んでいこう。